首都圏でも気温が10℃半ばを行ったりきたりするようになった。
この時期に街の公園をお散歩すると、暖色に染まる森の風景を楽しむことができる。17時の空気はひんやりと冷たい。少し厚着をして、56mmF1.2の単焦点レンズ1本でスナップ写真を撮った。夏の写真とはまた違い、色彩豊かなくせに、VelviaよりChromeの色味が似合う。
11月が始まった。
ハロウィーンを越えてしばらくすると、あっという間にイオンモールはブラックフライデー一色になるし、気がつけばクリスマス、そしてきっと慌ただしい師走の日常とともに2022年もお別れだ。
今年が終わるまでに、映像学区では何が残せるだろうか。見ているすべての人にどんなコトを伝えようか。現在進行系で原稿を執筆しているので楽しみにしていてほしい。
映像学区の写真旅シリーズの原稿には、しばしば「季節のひとときに」というフレーズが登場する。旅先で1枚1枚の映像から言葉を拾い上げるのは骨の折れる作業だが、「四季」の彩りは必ずどの1枚にも詰まっているのだ。「ボケ感」「色味」「露出」といったテクニックの説明とはまた違う、それぞれの空間の味が写真には残っている。
最後に制作したゆっくり写真旅は「銚子・犬吠」回だった。撮影した時期は、自転車を漕いでいるだけでクラクラするような真夏。動画を出さないうちにあっという間に肌寒くなったものだ。
読者のみなさんの中に「季節が変わる瞬間」がはっきり分かる人はいるだろうか。わたしはおうちの玄関をひとたび開ければ秒で分かる。しかも「あっ、今日から冬だ」みたいな、断言ができるくらいに。どの季節も1日単位ではっきりと認識できるのである。春夏秋冬それぞれ、空気の匂いや湿り気がまったく異なるからだ。
ここまで敏感に季節変化が認識ができる人は、実はそう多くないらしい。家族に「今日から冬だね」と伝えても怪訝な顔をされるし、季節の変化が共有できる人はなかなか身近にいない。
なんだか個性の自慢のようにも見えるが、この”敏感さ”は実は良いことばかりではない。季節変化に合わせて、もろに精神面に影響してしまうらしく、自分のパフォーマンスが乱高下するのだ。特に今のようなシーズンはよくない。思い出せば、秋に自分の成績がよくなったことなんて一度もないし、1年で一番不幸なことがたいてい秋に起きる。
冬に向かって、潤んだ空気はリセットされ、自然の息吹が減っていく。四季のリズムに引っ張られて、「郷愁・虚しさ・はかなさ」のようなコントラストの薄い感情が心の中に渦巻いてしまう。美しいはずなのに、ちょっぴりブルーでもある季節だ。
街の自然がだんだん色を失い、少しずつ空虚が広がっていく。眠りについてゆく。言語化するのは難しいけれど、写真旅の1枚1枚には、微細な空気から読み取る思いが隠れている。