ブランドネームの由来について、まじめに答えたことがなかったので書くことにします。
2020年の春、1か月ほどじっくり悩んだ末で一連の動画チュートリアル企画を『ゆっくり映像学区シリーズ』と名付けることに決めました。私は「学区」という響きがとても気に入っており、こだわりと覚悟をもってこのブランドネームを使っています。
学校・スクールのようなワードではなく「学区」をチョイスした理由は制作コンセプトにあります。それは「誰でもできる」こと。そして「趣味レベルでカンタンにできる、知っておくべきド基礎」の共有です。このコンセプトは年ごとに変えていますが、大枠はブレないようにしています。
うp主は先生になれない
私はどうにも、先端的な表現を教えるチュートリアルの制作に興味や自信がありません。それを高いクオリティで作れるクリエイターがもっとほかにいるからです。少なくとも私のやるべきことじゃないと思っています。例えばEpicなヘリコプター空撮であれば、Becki&Chrisの技法を輸入した予算たっぷりのクリエイターがやってくれます。BokehたっぷりのCinematic Shotが知りたければ、シネマカメラを扱うクリエイターのチャンネルにお邪魔すればいいだけ。
それらは他の人に任せておくべき分野です。
プロ向け機材を入れるほどの潤沢な資金も圧倒的な実力もない。クリエイティブなコンテストで優勝したこともないし、なんなら学校で賞をとったことも人生でたった一度しかない。だから映像学区のうp主は、誰かにモノを教えることができるほどエライ立場も実力も持っていないわけです。まだ知らないことが多すぎる。
でも、そんなうp主ですら「映像学区をやらなきゃ」と感じる理由ができてしまった。
失敗から学ぶデザインの基礎
私が動画づくりを始めたのは高校生のときです。当初チュートリアルを何度もくりかえし見て、ツールをほぼ覚え疑問点を解決できていたにも関わらず、いっこうに、「良い感じだなぁ」と満足できる動画が作れませんでした。
それはデザインができていなかったからです。視聴者の立場にのって企画を考える「広い意味のデザイン」と、洗練されたグラフィックを作るために何百年も蓄積されたテクニック「狭い意味のデザイン」。どちらも当時の私には欠落していたのです。
結果として過剰な表現を使った動画を、「すごいでしょ」と見せて恥ずかしい思いをしたことがあります。
たしかにこれは極端な体験であります。とはいえそのときに「デザインを意識すれば、余裕で解決できるじゃん」と教えてくれるサイトがあれば、こんな悲劇は起こらなかったはず。でも見当たるところには1つもありませんでした。相当な量のページや動画を見た自信はあるので、たぶん本当になかったのでしょう。
言い換えればこういう状況ではないでしょうか。無知→初心者のためのチュートリアルはある。中級者→上級者のチュートリアルもある。でも初心者→中級者のためのチュートリアルが欠落している。
……それから数年後、コロナ禍で暇になったので「ゆっくり実況でもやってみたいなぁ」とぼんやり考えました。せっかくならニッチな需要を狙いたい。その時に思い出したのが、動画編集における基礎知識が見つからない苦労です。
Premiereの保存方法のような、動画編集ソフトの使い方はチュートリアルの代表的コンテンツ。たしかに初心者が最初にマスターすべき内容の1つです。けれどそれだけで、動画作りの「基礎のチュートリアル」が満たされているとはいえません。それは単なるツールの使い方であり、動画そのもののデザイン方法ではないからです。動画をデザインできるようにならないと、満足する動画を仕上げることはできないのです。
一度気づきさえすれば誰だってカンタンに分かるのに、でもなぜか共有されていなくて、しかも多くの人が詰まっている知識はいっぱいありました。”先生”に教えてもらうような高度なことではないのに。
動画をもっとカジュアルに。お友達に遊びのルールを教えあう感覚で、みんなの動画を良くしたい。